“映画に愛される町”函館。エキゾチックな町並みや美しい風景は多くのひとの心を引きつけてやまない。これまで函館を舞台に撮影された作品は70本を越えると言われている。
しかし、函館の町そのものが主役となった映画はなく、“オープンセットのような”町を舞台に描かれたこれまでの映画のなかには、函館に生きる市井の人々の姿はなかった…。
そこで、函館市民有志の力によって、函館出身の作家・佐藤泰志が、変わりゆく町とそこに生きる人々の姿を描きだした名作「海炭市叙景」を原作に、函館に生きる人々のありのままの姿を描く映画を完成させた。
それが、映画『海炭市叙景』である。観光都市としての美しい函館を描くのではなく、変わりゆく地方都市としてのありのままの姿を映し撮った。そこには、函館が呼吸するひとつのからだとして浮かび上がり、その路地は毛細血管となり血が通っている姿があった。まさに、“今の函館”の姿を刻む映画となった。
そして、そこに描きだされたのは、日本中、世界中の地方都市に通じる“町”の姿と、人が生きていく姿であった。
両側を海に挟まれ た北国の小さな砂州の街・海炭市。この作品は函館の街を思わせる架空の地方都市・海炭市を舞台に、そこに生きる若者の屈折した青春の姿を描き出し、一筋の光りを求めて暮らす家族の再生の姿を描いている。職を矢い、ひっそりと身を寄せ合うように暮らす若い兄妹。娘の出産を待ちながら、造船所のある町まで市電を運転する初老の運転士。両親が住むこの町に移り住むためやってきた妻子持ちの男は、みぞれ降る中を引越荷物の到着をひたすら待ち続ける・・・。そんな様々な事情を抱えた人々が、海炭市のどこかで交差し連鎖しながら織りなしてゆく18編からなる物語。
(小説「海炭市叙景」は『佐藤泰志作品集』(クレイン刊)に所収。10月小学館文庫にて文庫化。)
・函館生まれの作家による、函館をモデルにした小説を、函館ロケで映画にする。
・今の函館の町並みを映像として記録し、後世への記憶に残す。
・市民参加の映画づくり。映画づくりという大きな目標を掲げた自主的活動が、町に活力をもたらし、文化活動の新しい形を生み出してゆく。
2008年の夏、「海炭市叙景」をはじめて読みました。「函館」とおぼしき街「海炭市」を舞台に綴られた18の掌編は、20年前の小説とはとても思えないほどリア ルに今の時代を感じさせました。そこには私の隣人や友人、そして私自身が描かれていました。まるで函館の街の息遣いが聞こえてくるようでした。疲弊した地方の街で「生きる意味」を懸命に見出そうとする人々の姿を描くことは、同じような地方の街で生きる人たちに、ささやかだけれどかけがえのない「希望」を感じてもらうことのできる、普遍的なテーマだと思います。函館が生んだ作家・佐藤泰志の「海炭市叙景」の映画化を、市民映画として2010年2月に映画化するため、私たちはその一歩を踏み出しました。
函館のミニシアター「シネマアイリス」の支配人・菅原和博氏は「佐藤泰志作品集」に収められている「海炭市叙景」を読んだ。そして、頭に浮かんだのは「この小説を映画で見たい」という思いだった。そこには、「地方の街で生きることの現実、生きていくことの意味を信じようとする人たちの姿」があり、今の時代にこそ描くべきテーマがあった。
北海道・帯広出身である熊切和嘉監督が、監督を快諾。「観光映画ではなく、人生の喜び、悲しみを丸ごとフィルムに焼き付けたい。誰も撮ったことがない函館を撮りたい」と意気込みを語った。有志による製作実行準備委員会を発足。
実行委代表に就任した菅原和博氏、原作者・佐藤泰志の同級生である西堀滋樹氏(製作実行委員会事務局長)をはじめとする、地元の文学ファンなど市民約20名が参加。
行政や企業に依存しない自立した活動体として、映画化の目的実現のために製作実行委員会を設立した。
“市民参加型の映画づくり”をスローガンに、企画から監督への交渉、資金集めなどを実行委メンバーが中心となり行った。朗読会や音楽演奏、パネル展などのイベントを通し作品のPR活動を続け、賛同する個人や企業から資金を集めた。実行委員会設立から1年が経つ頃には、映画化の目的や活動が函館市民に広く周知され、当初20名から始まった実行委員会も、賛同する人たち、特に若い人たちの参加を中心に倍近くに増えた。
そして、2010年7月時点で、一般募金金額は、1千200万円(募金者数1,500名)に達し、目標の1千万円を実現させた。
クランクインは2010年2月を予定していたが、大型クレーンの解体が決まり、その前に先行ロケを決行。旧函館どっく跡地で、函館の港に大型クレーンのある最後の風景が撮影された。
撮影には多数の函館市民が参加。出演者オーディションには道内外から約100人が集まり、「地元の本当の姿を描きたい」という熊切監督の意向で、メインキャストにも一般市民を起用した。エキストラを含めると500人以上の函館市民が出演。そのほか、出演者の世話役、運転手、ロケ場所の交渉、美術アシスタント、ロケ弁づくりなどが実行委や地元市民のボランティアによって行われた。